松山恵子
私が音楽に興味を持ち始めた頃には、松山恵子さんの全盛期は終わっていました。 ですから、その当時のことはわかりませんが、親父やお袋に聞いたところ、ちょうど今の浜あゆさんやヒッキーの様な感じだったそうです。 デビューされてから数十年の時が流れ、絶えず刺激と変化を求めて音楽の世界もすっかり変わりました。 でも、変わらないもの、変わる必要のないものがあります。 恵子さんの歌の世界は、がっしりとした土台の上に確立され、流行などどこ吹く風とみじんも揺らぐことがない、その様な気がしています。 元々は東京の千住生まれだそうですが、幼少時に愛媛県の宇和島市に転居されました。 偶然見た美空ひばりさんの公演に衝撃を受け、歌手に憧れたそうです。 中学2年の14歳の時、コロムビア・レコードのオーディションに四国代表として出場し、全国大会10位になっていますから、才能が開花しはじめた時期だったのでしょう。 54年にはマーキュリーレコードの全国大会で優勝し、歌謡界デビューの切符を実力で掴み取ります。 町を歩いていたら、偶然スカウトされたっていうのとはわけが違うんですね。 マーキュリーレコードから、「マドロス娘・宵待ワルツ」でデビューしたのは17歳の時でした。 その後、ヒット曲を量産し、マーキュリー・レコードの看板歌手として大輪の花を咲かせます。 ヒット曲には「お別れ公衆電話」、「未練の波止場」、「だから云ったじゃないの」、「思い出なんて消えっちゃえ」、「アンコ悲しや」他がありますが、私の記憶にあるのは「お別れ公衆電話」、「だから云ったじゃないの」、「アンコ悲しや」ですね。 今でも現役で、TVのなつメロ番組などで元気な姿を拝見しています。 懐かしい歌を聴けることはもちろんですが、総重量が20〜30キロにもなるという、豪華絢爛なドレスを見るのも楽しみの一つです。 古くから恵子さんをよく知るファンの方々の話ですと、とにかくきどらず、かざらない人柄の良さと、ファンを大切にする姿が好きだと言うことです。 これって当たり前の話で基本なんですが、これが出来ない芸能人が多すぎる気がしています。 |
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P 1990 |
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P 1988 |
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P 1985 |
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