雪村いづみ
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ブロマイドに直筆サイン かなり古いものです。 昭和30年前後のものではないでしょうか? |
雪村いづみさんが表紙の「歌のショーボード」 当時の流行歌の楽譜集になっています。 一例ですが、母恋椿・里子月夜・街に赤い灯がともる・俺は待っているぜ・東京行きの汽車が出る・この手紙が届いたら・島のおっ母さんなど数十曲が掲載されています。 1957年に出版されたこの歌集の定価は50円です、時代を感じますね。 |
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C 1962 |
C 1964 |
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C 1965 |
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P 72 |
P 74.8 |
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P 1979 |
C 1976.4 |
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10年に一度の幸運児、シンデレラ娘...といわれたトン子さんではないですか... 美しい!!
抜群にスタイルが良い...ために、江利チエミさまたちと一緒の映画ではペッタンコのパンプスを履いたりと随分気を使われていた。 しかし、それがかえってお洒落だったりして... 彼女の座右の銘は...エブリシング・ハップンフォー・ザ・ベスト 全ては最良の為に起る という言葉だそうです。 父君の不幸があり、かなりの生活苦を経験し、教育大駒場高校を受かっていたにも関わらず、長女として家系を支えるために進学を断念します。 家計を助けるため、進駐軍の将校さんの家のメイドの募集で面接を受けるも、「こんな細いちいちゃな女の子は可哀想で使えない」との理由で不採用になったエピソードもあります。 途方に暮れていた頃、たまたま母の知人が支配人をしている有楽町のダンスホール(フロリダ...??)に「クリームソーダをご馳走になりに」行ったことが、彼女の人生を大きく変えるターニングポイントとなりました。 そこで、彼女はお友達の家で覚えて歌える曲が1曲あったことを思い出します。 ♪ビコーズ・オブ・ユー... 歌で食べていくことは出来ないか?? 咄嗟のひらめきが彼女の人生を変えます。 ちょうどその頃、江利チエミが、進駐軍キャンプや日劇・日劇ミュージックホールの前座の仕事から、「テネシーワルツ」でメジャーデビューを果たしていました。 スターの抜けた進駐軍でも日劇でも「ポスト・チエミ」が必要だったのです。 ちょうど彼女は同い年!直ぐに彼女にスポット・ライトが当たります。 そして、ひばりとチエミを落としているレコード会社ビクターは、もう今度は同じテツは踏めない状況にありました。 彼女はビクターから声がかかり、オーディションに合格します。 しかし、なかなか上層部は、雪村いづみさんにレコード・リリースのGOサインを出さない。 もう「オクラか」と思ったその時、江利チエミさんが渡米します。 ビクターとキングの「友情関係」で、江利チエミさんがレコーディングする予定だったテレサ・ブリューアの「想い出のワルツ」で見事デビューを果たします。 昭和28年4月20日だったと思います。(記憶違いだったら失礼!) ここから彼女の波乱万丈のサクセスストーリーが始まるのですね。 By Uです。さん |