Kate Bush
ケイト・ブッシュ


 ← Side 1
  1. RUBBERBAND GIRL (Extended Mix)





 ジャケット表 ↓

HPを見て下さった方から、メールで貴重な情報を頂きました。
大変参考になる資料ですので、ご本人のご承諾を得て、下に掲載しました。
長文ですが、ぜひ読んでいただきたい!


 ジャケット裏 ↑



 ← Side 2
  1. RUBBERBAND GIRL
  2. Big Stripey Lie


 EMI UK:12EMPD 280
 P1993




ジャケット表 ジャケット裏





ケイトのお母さんはアイルランド移民です。(ガラス工芸品で有名な街の出身です)
『赤い靴』発表前の年に亡くなり、そのショックでケイトの当時の新譜リリースが遅れました。
この母上は、ケイトのプロモ『ガッファにて』に出演。
5枚目のアルバム、『マザー・スタンズ・フォー・カンフォート』にも出てきます。(声)
因みに父上は、『センシュアル・ワールド』の中の1曲にも(Dr.BUSHとクレジットあり)。
ケイトの生家はビクトリア朝の時、おじいさんの代で財をなしました。(祖父は軍人)
ケイトは40歳で息子を持ちました。
未婚で、同業者との間に生まれ、その子が可愛くて仕方ない様子。(一時、彼女もいわゆる『産後デブ』になっていました…)
古くからの人の話によると、82年のLP『ドリーミング』で彼女にもうついていけませんという人と、のめりましたと言う人になったそうですよ。
このLPはケイトの作品の中で一番重く、暗く、プログレ的でもあります。
これは録音費用が膨大で、レコード会社の英EMIが相当怒りました。(一度録音した後、録り直した)
このLPでケイトが発狂云々が書かれたそうで、当時の日本の東芝EMIの担当ディレクターまで信じたそうですが、これはデマでしたので、念のため。
最後の収録曲など、邦題は『狂気の館』とかなっていますが、これは米の小説家、スティーブン・キングの『シャイニング』を読んでからケイトが作ったのです。
又、『ピンを引き抜け』というのは、ベトナム戦争の時の、ベトコン兵達が持っていた奇妙な風習の事。(とまぁ、書き出したら長くなるなぁ)
イスラムの神秘主義とかにケイトは傾倒していたので、その本とか読むと、曲の理解の手助けになるんじゃないかと思います。
ケイトの事ですが、彼女は3枚目のLPから自己プロデュースする事になりました。
というのは、デビュー盤と2枚目の仕上がりが気に入らなかったからです。
そしてそのプロデューサーともぶつかったんですね。
ポピュラー音楽の作曲というのは、歌詞とコード(和音のこと)位しか普通書きません。
どこにどういう楽器を配置するのか、テンポはどうか、曲調(テクノっぽくするか、ラテンをもってくるか、アップテンポなものにするかなど)をどうするか、等は全てプロデューサーが決めるのです。
だから、レコード(CD)の仕上がりというのは、プロデューサーにかかってくる訳。
収録曲もこのプロデューサーが決めるんですよ。
女性ボーカルは、プロデューサーが同じだと歌声が似通ってきやすいというのもあります。(ミキシング・ルームにはたくさんのツマミが。これを上げたり下げたりすると、音程が変わってくる)
ケイトの場合、1st と2ndのアルバムは非常に短い間隔で発表されました。
というのは、2枚目『ライオン・ハート』の中には、新しい曲は3ツしかなかったからです。(『コーヒー・ホームグランド』『青のシンフォニー』『車輪が滑る』)
ケイトは1976年の夏にEMIと最終的に契約がまとまり、レコード会社から彼女が受け取った契約金は3千ポンドでした。
尚、本邦で一番売れたケイトのレコードはアルバムで『キック・インサイド』(1st)、シングルは彼女の人気の頂点だった80年の『バブーシュカ』です。(英で一番売れたシングルは、デビューの『嵐ヶ丘』)
又なにやら長くなってしまったな…。
しかしま、98年だったかな、都内の輸入盤店でケイトのレコードを聞くと、20代初めとおぼしき店員はケイトを知らない。
英のシンガー・ソングライターなんですが、と言うと、「そーいう人のはありません」。
時代の流れですわね。(が、ケイトもデビュー期は、日本でいわゆるアイドルの売り方をされてたんですね、当時は全く知りませんでしたが。

                                       By  大野


私もリアルタイマーの大ファンでして、伝説の来日もセイコーのCM出演も知っている世代です。

『未婚の母』についてですが、たしか子どもの父はベースのデル・パーマーではなかったかと思います。
それ以前には、彼女が天才少女から大人のアーティストに育っていくのを間近に見ていたデイヴ・ギルモア自身が恋心を抱き、かなり熱心にくどいていたけど、最終的にはケイトにふられ、その頃からデルと公私を共にしていたと記憶しています。
ついでに『産後デブ』と『Dreaming』期の発狂うんぬんのデマ話についてですが、幼少期からベジタリアンだったのに、ケイトが太ったのは、中年になってからが初めてではありません。
『Dreaming』あたりで、早くもツアー嫌いの傾向が見えはじめま すが、実はステージで歌い踊っていたらドレスの肩ひもが切れ、そのまま楽屋に引っ込んで公演中止という事件がありました。
そのころケイトは、ストレスで急速に太り続けていたからです。
それですっかり人嫌いになって、というのが『発狂』騒ぎの真相みたいです。
(このエピソードは当時イギリスの業界紙にスッパ抜かれていました)
もうひとつ、デイヴとは偶然でなく、妹の才能に惚れ込んだ兄の仕込みで正解ですが、その実兄とは作品でマンドリンをよく弾いているパディ・ブッシュです。
パディも優れたプレイヤーなので、かなり真剣な売り込みだったと思われます。

                                        By  oddjob                                     








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